第130回ボストンマラソンで、フィニッシュラインまであとわずか200メートルの地点でランナーが倒れ込んだ。見ず知らずの2人のランナーが自らの目標を犠牲にし、彼をゴールまで運んだ。

2026年4月20日(月)、約3万人のランナーがボストンの街を埋め尽くし、ホプキントンからボイルストン通りのフィニッシュラインまでの26.2マイルを駆け抜けた。肌寒く晴れ渡った一日で、気温は華氏40度台前半、西から時速11マイルの追い風が吹き、好条件がそろった。ケニアのジョン・コリルがコースレコードを更新し、2時間1分52秒でフィニッシュ。ジェフリー・ムタイが2011年に記録した2時間3分2秒を70秒も上回り、史上5番目の好タイムとなった。同じくケニアのシャロン・ロケディが2時間18分51秒で女子の連覇を果たした。

しかし、この日最も記憶に残る場面は、スピードとは何の関係もなく、人間らしさそのものだった。

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残り200メートル、3人の見知らぬ者同士、1本のフィニッシュライン 2026年ボストンマラソンで最も人間味あふれた瞬間

脚が限界に

テキサス州エルパソ出身のイスラエル・リベラにとって、今回は初めてのボストンマラソンだった。通算では7回目のマラソンである。目標はただ一つ、3時間切りでのフィニッシュだった。脚はひどくつっていた。最後の角を曲がるとき、ゴールするまで脚がもってくれるよう神に祈っていた。

そのとき、ジョナサン・アダムスが目の前で崩れ落ちた。

リベラはためらわなかった。足を止めて身をかがめ、アダムスを立ち上がらせようとした。

「その目標は本当に欲しかった。でも、人として当然のことでしょう?」

3人目のヒーロー

リベラがアダムスを起こそうとしながら周囲に助けを求めていると、ヘンコ・フィッサー(正式名ヤコブス・ヘンドリク・フィッサー)が駆け寄った。フィッサーは南アフリカのケープタウンから飛んできており、ボストンマラソンが初めてというだけでなく、アボット・ワールドマラソンメジャーズも初出場だった。

「彼がどんな気持ちだったかは想像もできない。あと少しのところまで来て、積み重ねてきた努力のすべてを最後の200メートルで失うように見えたのだから。何カ月も目指してきたメダルを受け取れるよう、彼をフィニッシュラインまで連れていくのは絶対に必要なことだった」

残り200メートル、3人の見知らぬ者同士、1本のフィニッシュライン 2026年ボストンマラソンで最も人間味あふれた瞬間

最後の数メートル

3人は一緒にフィニッシュへ向かった。リベラはアダムスが動き続けられるよう、声をかけ続けた。

「『ジョナサン、俺の首に腕を回して』と言ったんだ。『一緒にこのレースを終えよう。ここまで来たんだ、もうすぐ終わるよ』ってね」

当初、アダムスは支えがあれば歩くことができた。だがゴールの数ブロック手前で、脚が完全に動かなくなった。リベラとフィッサーは彼を肩に担ぎ上げ、残りの道のりを運んだ。

3人は一緒にフィニッシュラインを越えた。アダムスの公式記録は3時間2分28秒だった。

残り200メートル、3人の見知らぬ者同士、1本のフィニッシュライン 2026年ボストンマラソンで最も人間味あふれた瞬間

失ったもの、得たもの

リベラの記録は3時間2分4秒。3時間切りの夢は消えた。フィッサーも目標タイムには届かなかった。

だが2人とも、後悔はない。

「メジャー大会は思い出がすべて。タイムはいずれ忘れる。こういう瞬間こそ、僕は一生忘れない」とフィッサーは語った。

リベラはエルパソへ戻る飛行機の搭乗を待つ間、Boston.comの取材に応じた。

「脚はつって、本当に痛かった。まるで神様が『自分の脚のことを考えるのはやめて、誰かを助けなさい』と言っているようだった。彼を助けている間は、まったく痛みを感じなかった」

「すべてには理由がある。これ以上の結末は望めなかった」

フィニッシュ後、アダムスは医療スタッフの手当てを受け、3人は離れ離れになった。その夜遅く、アダムスはStravaでリベラに連絡を取り、無事を知らせるとともに感謝を伝えた。

「Stravaでやりとりを続けていて、友達になった」とリベラはKVIAに語った。「語るに値するいい話だと思う。結局のところ、僕らは2人ともうれしく思っている」

リベラのタイムは、来年のボストンマラソンの出場資格を再び得るのに十分な速さだった。すでに再挑戦を計画している。

これはボストンマラソンの伝統だ。毎年、誰かが見知らぬ人をフィニッシュラインまで助ける。タイムは忘れられても、瞬間は永遠に残る。